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美海紀行
久米村について
久米村は唐営とも呼ばれていたように、中国の生活様式を色濃く反映していました。というのも久米村の人々は、元々中国から琉球にやってきた渡来人達の子孫だったからです。
今から600年前、当時の中国皇帝が琉球国王の求めに応じて福建省の人々を琉球に派遣したのです。彼らは閩人36世と呼ばれていました。
彼らの役目は、琉球の人々に造船技術や航海術などを教えたり、琉球国の為に外交を担当することでした。
今でも那覇市久米としてその名を留めていますが町には当時の面影は殆ど残っていません。
しかし、近くの小高い丘の上には久米村が生んだ英雄「謝名親方」を偲ぶ石碑がひっそり建っています。謝名親方は時代とともに変わっていく久米村を今も静かに見守っています。
左の写真、福州園は、那覇市と中国福州市の国際友好の歴史を記念して1992年に完成した中国式庭園。
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