これは屋根獅子の起源の頃でもみてきた通り、貴族の生活の中に派生した獅子像からきた様式で、依然その面影を豊富に残したものであります。その面影は顔面におけるそれも勿論だが、とくに鬣の表現に顕著にあらわれています。
琉球の古い獅子像にみる鬣は、様式の如何にかかわらず、おしなべて様式化された捲回の形で表現されるのを常としているが、それがこの焼物の屋根獅子にも及んでいるということです。因みに漆喰製の屋根獅子では、この様式はくずれ、つくり手の個性又は技術に応じて、まちまちの表現形式をとるようになってきます。
胴体をつけるようになってからも顔面にみられるこの様式の特徴は消えず、胴及び四肢の表現も力動感があり、俊敏な感じを甚えているものです。
屋根獅子におけるもうひとつの様式というのは漆喰製の塑像にみられる様式です。漆喰製の塑像というのは、前にも触れておいた通り屋根瓦の破片等を心に用いて漆喰で肉付し、単彩を施したものです。 ここでその様式について述べる前に、その発生の素因にしばらく目をむけてみましょう。そうすれば自らその様式のおよその輪郭が明らかになってくると思うからです。
まづ、その発生に因んで、明治以降瓦葺の家屋が増加するにつれ、壺屋の荒焼窯の職人達の中から瓦工へ転業するものがあった(小橋川永仁氏)ということに注目します。というのは、この職人達が瓦葺のムチゼーク(漆喰左官)を兼ねて、各地で漆喰製塑像をつくりはじめたと考えられるからです。
これらの職人達は、壺屋では必ずしも獅子づくりの専門ではなかったでしょうが、少なくとも身近にそれを見聞し、その形に対する概念は一般の人達より明確にもっていたものと考えらます。 しかし概念はあくまでも概念であって、具体的な経験や技術を伴わないと、いざ自分でつくるという段階に出あうとその原形はかなり狂ってきます。 しかもそれは職人が変れば変ったなりに出てくるものなのです。このような事情を反映させたところが漆喰製の塑像にはみられるのであります。 しかもそれがこの屋根獅子における特徴になっているようにみうけられるから愉快であります。こうみると、漆喰製の塑像は前述の焼物の蹲踞形の屋根獅子の後を追ってあらわれてきたことが明らかになります。 つまり、この様式は新らしい社会現象に見合う職人の転業の段階であらわれてきたものとすることができるということです。
この推定を裏付けるものとして、それをつくる場合の技術の一つをあげることができます。それは、漆喰で肉付けして塑像が出来上がったあと、瓦片と瓦片を摺って瓦粉をつくり、これで胴や四肢の白い漆喰の部分を赤く彩色し、いかにも焼物らしくみせようとする努力がなされているということです。 このことは同時に、これが焼物獅子の即製的、代用品的性格をもつものであることを裏付けるものでもあるでしょう。
さきに屋根獅子の起源の頃で、壺屋の新垣栄世氏の「前の屋」の石壁の漆喰製の獅子頭残欠について触れましたが、その様式は外に露呈している部分から推してチブルシーサーの系統に属するもので、ここでいう漆喰塑像の様式には入れられないものです。 しかし、素材が同一だということは注目に値するでしょう。というのは漆喰を素材にして塑像をつくるという技術が明治以降ではなく古くからあったという事実をみせているからです。
ではこの辺で漆喰製屋根獅子の様式上の特徴とはどんなものであるかを眺めてみましょう。全体的な形は前に述べた焼物で4肢のついたものに順じ蹲踞正面又は横向きの形式をとり、頭部の彫の深さも焼物の様式にならうが顔面の表情は勇猛というよりユーモラスなものを感じさせるところに特徴があります。 一見勇猛な感じをあたえますが、ゆっくりながめていると次第にユーモラスな面が浮かび上がってきます。たとえば大きく開けた口は舌駄の歯を思わせたり、不均衡にとび出した両眼は眼球が大きいためサングラスをかけているように見えたりするのです。 いいかえると統一された様式らしいものはみられず、ひとつびとつが違った表情をもっているということです。つくった本人は獅子のつもりでありながら、犬や狼になったり、はては人面にみまがうものもとび出してくるしまつです。 この様式の屋根獅子の特徴は、一口にいえば稚拙の美、というより面白さであり、不均衡からくるたのしさであります。
また、頭部がこのように変化に富むにもかかわらず、胴や四肢に動きが乏しく、概して平面的なものであることや鬣もこれまでの様式とは違い、捲回せず、不定の直線又は曲線の交錯によって表わしているのもこの様式の特徴としてあげられます。
以上、屋根獅子におけるふたつの様式について述べてきましたが、つぎにこのふたつの様式にみられる共通点をあげながら、その形式等を追ってみます。
この両者にみられる第1の共通点は、すべて開口の形式をとり、しかも他の獅子像に比較して特に大きく、他の部分との比率が不均衡であるということであります。これは魔除けとして威嚇を目的としたところから必然的に生まれた形態でしょう。
第2は、開口した形態でありながら球を配してある場合が多いということであります。獅子像に球を配する形式は他の琉球の獅子像では閉口のものに限られたもので、開口の形態に球を配してあるのは、これまでの調査では皆無に等しいです。
獅子像のもつ球には、普通紐がついており、また、技術の細かいものになると花模様の浮彫などを施したのもあります。
これから推して、それは明らかに毬をかたどったものであるということができます。この毬と龍に配される珠と、時に混同されやすいが、これは明らかに区別さるべき性質のものでしょう。なぜなら、龍に配される珠には花模様などを付すことはないからです。
この龍の珠について、中国の学者(杜而末著「鳳麟亀龍考釈」、中国古装建築師陳哲雄氏の訳による)によると、それは元来月を表わし、月は風雨を生むと信じられ、龍神がそれをのむとその神通力が得られるところから宝珠とみなされるようになったとのことです。 つまり龍に配される珠は月をかたどった宝珠であり、風雨を生む神通力をそなえたものと解釈されるということです。
屋根獅子における珠は、はじめは毬のつもりであったでしょうが、いつしかそれが混同されるようになったのではないでしょうか、なぜかというと屋根獅子に配されるこの球体の形を一般に「タマ」と呼び「マリ」とは呼んでいないからです。 屋根獅子が手毬とじゃれるという形式より、龍の珠を配して神通力をあたえるという発想が、より屋根獅子的であり、また実利的ではないでしょうか。
しかし、そうはいっても、今日でも依然として毬を象徴するような形式がないわけではありません。例えば、瓦葺の軒に使われる「花瓦」を「タマ」の代わりに配する形式がありますが、これなど、毬の表面に施された模様を意識して代用したものととれぬこともないということです。 なおまた、その花瓦の模様が牡丹の花であれば(この例は多い)、これを前に述べた「獅子に牡丹」の形式と毬とを抱き合わすという着想もあったのではないかと思われます。 これをただ単に、あるいは偶然に、その家の「花瓦」が牡丹模様だったからというだけで片付けるのはちと乱暴でしょう。莫然としながらもそれをつくった職人には、少なくともこのような古い形式に対する意識が働いていたと考えるのが妥当でしょう。
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